私が国会で実現したいこと

 今日の日本の社会は、一人一人の市民の皆様が心からの笑顔で、且つ充足感を感じながら自らの居場所を見つけ、日々の生活を送れているのでしょうか。
答えは否、であると思います。人々は生活の中で過度の自己責任論に疲れ果て、また出口の見えない閉塞感に押し潰されそうになっています。

 国会では、公正を支えるはずの、官僚による「忖度」を源流とする公文書の書き換えや、法理の上において解釈が成り立つならば、事の良し悪しは関係なく、社会的道義的に許されようが許されまいが、その場を言い繕えればそれでよしとする大人達の姿勢のオンパレードです。
 桜を見る会の総理の説明とホテル側の説明は明らかに乖離し、また東京高検の検事長の定年延長の法解釈の変更など、まさしく本来あるべき姿が、もはやどこかに消し飛んでしまっています。
 自らの権力延長の為に、国民の納得や安心など二の次になっている政権の姿勢こそが、今日私たちが感じる閉塞感の根幹の部分だと考えます。

 今、まさにこの国の良心が、日々を重ねれば重ねるほどに失われて行ってしまっている。
 国会で起こっていることは、この社会の日常のどこでも繰り広げられ得る事であり、あるいは学校の教室の中で行われていても全く不思議ではありません。
 大人のそんな姿を、子ども達はじっと見ています。絶対にこのまま、こんな姿を見せ続けてはいけない。 そのことに居ても立っても居られない程の焦りを感じます。この政権は一刻も早く変えなければ、日本が危ない。そう強く思います。

 環境破壊や、より複雑化する多国間の安全保障など、様々に世界の潮流が変わる中、国内にも、かつて経験のない人口減少に起因する多くの問題や、消費を下支えする実質所得の向上など、真に対応が急がれる課題に対し、もはや潮目の変化についていけないのが、既存の制度を創って来た自民党政権そのものであるのです。

 私たちだからこそ、変える事が出来る。
 長く続いた自民党政権の下で政官業のシステムを創り上げて来たその裏に、団体献金や集票力という果実と裏腹の関係があるが故に、もはや抜本的に合理的に改革を進めるには、政権を代えるしかないのです。
 それらを通して、公正で良心的な議論を尽くすことによって、今よりもより多くの国民の皆様に納得を頂く事が出来ます。
 私たちは変えていく事が必ず出来ます。
 こんな想いで、皆様と共に「国民の納得」を第一義に据える政権を作るため、全力で頑張ります。何とぞご支援ください。

伊賀 央